村社会じゃない田舎を探す方法

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田舎は閉鎖性が強いと言われます。外からやってきた人は疎外感を感じると。

自分たちだけで完結して、外の人を寄せ付けない、いわゆる村社会です。
今でこそそういう排他性は薄まっていますが、ゼロになったわけではありません。Iターンした人が、溶け込むのに最初は苦労したという話は今でも聞きます。
もしあなたが「田舎への移住を考えている」または「引っ越してきた田舎が村社会で困っている」のならぜひ最後まで読んでください。そうすればハズレの田舎を回避することができます。

噂が音速で広まる

田舎の人たちは隣人の噂が大好物。
「○○さんの子供が△△大学に行った」
「○○さんと××さんが一緒の車に乗っているのを見た」
「○○さんの車がこないだ□□に停まっていた」
こんなど~~~~~~~でもいい話題がおしゃべりの大半を占めます。
特にオバサン。
TVの録画の仕方は何回やっても覚えないのに、こと他人の噂に関する記憶力は無限です。

年寄りが偉い

田舎で一番偉いのは年寄りです。
生まれた町から一歩も出ることなく、外のことはあまり知らないけど、田舎でさんざん苦労してきて、この田舎のことならなんでも知ってる。
そんな人の発言は無敵です。
ロジックは関係ありません。「○○さんの言うことは正しい」のです。
そのため、ロジカルに説得しようとすると、納得するどころか「あいつは屁理屈ばかりこねてきて信用ならない」なんて言われて、逆に評価を下げてしまうことになるのです。

周りと違う行動は悪

村社会は出る杭を打つ社会です。
新しいこと、だれもやったことがないことは「余計なこと」。基本、反対されます。
その反対を押しのけてやるとどうなるか。
成功すると「なんか怪しいことでもやってるんじゃないの」と妬まれます。
失敗すると「ホレ見たことか。言わんこっちゃない。いい気味だ」と後ろ指を指されます。
田舎はチャレンジする人に後ろ指を指すところです。

がんばってる貧乏人ほど評価が高い

田舎では、地味で泥臭いことを地道にやってる人が評価されます。
たとえばこんな感じ。
「あいつは無農薬野菜を作るために軽トラ何倍分もの牛糞堆肥を運んで苦労してる。お前も見習え」
このように、苦労することそのものに重きが置かれます。
それで稼いでいるのなら尊敬もするし、見習おうとも思いますが、こういう人ってだいたい稼いでません。
逆に、効率よく稼ぐ人は妬まれます。

村社会はなぜできるか?

この「村社会」という言葉、田舎の悪口のように使われたりするのですが、田舎は別に嫌がらせでそうしているわけではなく、そうしなければ生き延びていけなかった、昔の時代ならではの切実な理由があるのです。
それを知れば、また田舎の見方が変わってくるのではないかと思います。
今でこそお米はスーパーで手軽に買えますが、昔は田舎なら自分で食べる米は自分で作って当然という時代がありました。
江戸時代までは年貢があり、米で納めていましたよね。米は通貨代わりだったわけです。
(今でも田舎のお年寄り農家の間では、他の作物と比べて米は別格の存在で、儲けは度外視、何はなくとも米は作らなければならないという、いわば信仰に近いものがあります)
米を作らないと飢えて死ぬので、田舎ではどんなに立地条件が悪くても米を作る必要がありました。
そこで困ったことが起きます。米を作るには大量の水が必要です。バケツに汲んでぶっかけるぐらいじゃ全然足りないのです。
手段は一つしかありません。川から直接水路を引いて水を流し込むのです。
重機なんかない時代、村の男たちはすべて自分たちの手で、硬い地面を何キロも掘りました。
用水路が開通するには何年もかかります。でもやめるわけにはいきません。
飢える未来。飢えなくて済む未来。
そのどちらになるかはすべて自分たちの肩にかかっていたのです。生き延びるには力を合わせるしかなかった。
そんな生きるか死ぬかの思いでやっと手に入った念願の水は、自分たちだけのもの。一緒に何年も苦労した仲間、一緒に困難をくぐり抜けた仲間だけのものです。
隣の村にさえ使わせません。まして外からふいっと入ってきて、なんの苦労もしていない人が水を使うなんていうのは、彼らからしたら泥棒と同じことでした。
同じ苦労をしていないにしても、一緒に苦労した仲間の子供や孫、親戚であれば話は別です。あいつの子か、じゃあ水を使ってもいい、となるわけです。
こうして村社会は出来上がります。
村歴の長い者、村に貢献した者が偉い。
移住者なんて肩身の狭いこと狭いこと。頼み事はおろか意見を言うことすら許されません。
まだIターンなんて言葉がなかった時代、村に頭を下げて下げて移住を許されたある人は「これから先10年は意見を言うな」と言われたそうです。村に溶け込むのはそれほど敷居が高いものでした。
このように、村の排他性は団結力の裏返しです。結束しなければ生き残れなかった時代の名残なのです。
今ではこんな極端な村社会はほぼなくなりました。どの田舎も人口減と高齢化で、移住は(表向き)歓迎されます。
ですが村要素が完全になくなったわけではありません。今でも農業用水などはなかなか思いどおりに使えないという話を聞くことがあります。
米農家にとって水は生命線。米農家を志す人がいたら、就農地を決める前に、水がどの程度自由に使えるかを事前にリサーチしておいた方がいいですね。

村要素が少ない田舎を探す方法

最初に断っておきますが、田舎である限り、村要素は必ずあります。

それが濃いか薄いかの違いです。

村要素が濃い田舎だと、ちまたでよく言われている「窮屈な田舎」になります。

反対に、村要素が薄い田舎だと、余計な気兼ねをせずローカルライフを楽しめます。

いくら村社会が昔必要だったからといって、現代の移住者が快適に過ごすためには、村要素は少ない方がいいに決まっていますよね。

新人でも意見が言いやすい、話がしやすい、受け入れてもらいやすい。

そんな地域を探すには?

答えはズバリ「移住者が多い地域を探すこと」です。

その理由は、移住者が多い地域だと地元民が「よそ者慣れ」しているからです。

よそ者に慣れていない(=移住者がいない・少ない)地域に移住するとどうなるか。

初めてよそ者が来るというのは、フナばかりの水槽に金魚を一匹入れるようなもの。

どこにいても目立つ、いわば異物です。

よそ者を受け入れると、最初は必ず摩擦が起きます。

これまで同質的な集団であったところに、考え方の全く違う人が入ってくるのだから、当然です。

フナ1「え? 金魚って俺らと同じエサ食べないの?」

フナ2「え? 金魚って俺らと泳ぎ方違うの?」

フナ全員「そんなのおかしい!」

こういう感じです。

それもそのはず、フナたちは今まで同じ仲間のフナしか見たことがありません。金魚のことなんて知らないのです。

また、人が入ってこなければ地域が存続できないという危機感を持つ地元民は実は少数です。

そのせいで、最初は移住者の受け入れの必要性自体を理解してもらうのに時間がかかります。

そのため、先ほど挙げた農業用水の扱いにしても、最初は、

移住者「全員でローテーション組んで効率よく水が使えた方がみんなハッピーじゃん?」

在住者「俺らが使ってきた水をポッと出のペーペーに好き勝手に使われてたまるか」

といった意識の違いがあります。

それが時間がたち、話し合いも増え、新しい人が入ってくることが必要だ、じゃあそのためにどうすればいいか、という方向性になって初めて、お互いの妥協点を見出す余地が生まれます。

移住者の受け入れに積極的な地域は、すでにこうした軋轢を乗り越えてきており、いわば地ならしが終わった状態です。

先ほどの水槽のたとえでいうと、フナもまだ半分ぐらいいるけど、金魚もいっぱいいるしコイもいるしメダカもいるし、もうフナ一色じゃないよねって状態です。

だから移住者が入っていきやすいし、話し合いもしやすいし、より快適な環境が用意されています。

逆に、過疎が進んでいるにもかかわらず受け入れに熱心ではないところは、よそ者を嫌い、地域のお年寄りが幅を利かせているところが多いです。

人間関係で悩まない田舎を探すには、先人に続け! ということですね。

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